働くということ(著:勅使川原 真依)|能力獲得に疲弊する前に

「能力」なんて虚構である。いやいや、そんなことはないだろうと、少し前の自分なら思っていたけれど、本書を読んで考え方はガラッと変わった。

そもそも仮構的な概念であるのに加えて、実は身分制度に負けず劣らず出自の影響を強く受けた、不平等な配分原理だと教育社会学が指摘する「能力主義」。 P52

生きていれば、様々なことが起こる。突然、不幸にも事故に巻き込まれてしまうことだってあるし、たまたま、運よく恵まれたポジションで仕事ができる場合もある。そのように想像を巡らせれば、それらすべてが「自分の能力次第である」とは言えそうにない。

しかし、現実はどうだろうか。

あれが必要、これが必要と、要請されることには終わりがなく、個人は「能力」獲得に向け、右往左往。真面目であればあるほど、自分の責任・問題であると考え、構造的な問題からは目を逸らさせる格好の逃げ口上になっているとも言えます。 P60

一度ネットにアクセスすれば、広告が目の前を遮り、「あなたには〇〇が足りていないのでは?」と、「能力」の獲得を要請してくる。「能力さえ」獲得できれば、こんなに充実した生活が待っていますよ、と。

僕自身、自己啓発本、ビジネス書を読み漁り、自分の能力開発に熱心になっていた時期があった。〇〇スキルを獲得すれば自分だって…と、キラキラした自己実現という熱に当てられて、自分の存在を無理に外部のモノサシに当てはめようとしていた。

けれど、それはやっぱり疲れた。ひどく消耗し、ほんとうにもう、コリゴリというくらい、疲れ果ててしまった。

言動の「癖」や「傾向」は個人個人で違いがあります。その「持ち味」同士が周りの人の味わいや、要求されている仕事内容とうまく噛み合ったときが「活躍」であり、「優秀」と称される状態なのではないでしょうか。P103

組み合わせの良し悪しこそあれど、個に良し悪しはないのです。 P105

「自分」を蔑ろにし、外部にばかり気を取られ、自分を削る作業をしていると、わけが分からなくなってくる。自分はいったい何がしたいのだろう?などと、堂々めぐりになる。

危険なのは、そのように迷いが生じている時でさえ、自己啓発・自己実現・能力開発という文脈を隠れ蓑にして、「〇〇をすれば自己実現に近づけますよ!」と、さらなる能力獲得を迫ってくる点だ。やっかい極まりない。

僕の経験則で言えば、そのような状態に陥った際、(できるかどうかはさておき)一旦「能力開発・自己実現界隈」から距離を置く他ないと思う。

自分がそのような他者のモノサシで自分を縛ってしまっていることに自覚的になり、距離を置く。そうやって自分がいかに自分の気持ちを無視してしまっていたかを改めて認識する(難しいけれど)。

相手の口を塞ぐようなことが蔓延っていたら、それは「働くということ」がうまくいっていない証です。

相手が安心して真意を吐き出すことができる空間をつくった上で、それによって意見を交換すること。

その際に、変えるべきは相手(他者)ではなく、まず自分のモードを問うてみる。

真面目で一生懸命な私たちが引き続き頑張るとしたら、この点です。誰かのものさしに合わせて、人を「選ぶ」ことでは決してありません。 P218

能力獲得に向けて努力することが唯一の正解、のように感じられる現代において、自分の内側に宿る違和感を無視してしまいがちなのだと思う。

ただ、そのような違和感を無視し続けた結果、精神を疲弊させ、心を病んでしまうことにも繋がりかねない。

「能力」という虚構の概念に自分の精神を支配されてしまわぬよう、まずは、自分の心の変化の機微に自分自身が敏感になること。そして、そのような機微を、恥ずかしがらずに他者にアウトプットすること。

果てしない能力獲得の旅を目指して疲れきってしまっていた数年前の自分にこそ、手に取ってほしい本だと感じた。


書籍はこちら↓

働くということ 「能力主義」を超えて(著:勅使川原 真衣)